そろそろ『PK』日本公開!になるんじゃないかと期待して待っているのですが、そんなニュースは流れてきませんね・・・。日本、来ないのかな・・・。小ネタを書きつつ、良い知らせを待ち続けましょう。

『PK』は宗教風刺だとか、ヒンドゥー教を侮辱しているからボイコットしようとか、良い映画だから免税にしようとか、いやあれはラブストーリーだ(by私)とか、いろいろ言われましたが、「あるあるコント」とお下劣ジョークが炸裂するコメディ映画でもあります。台湾、中国では、さほどでもなかったのですが、インド系の多いマレーシアで鑑賞したときには、老若男女、最初から最後まで観客の皆さんは抱腹絶倒、涙を流さんばかりに笑い転げていました。爆破テロで埃まみれになったPKがちょこんと座っているシーンでも笑いが起きていたのは、正直、ドン引きしましたが・・・。インド人の皆さん、笑いの沸点がかなり低いのに加えて、日ごろから感情の赴くままに生きているので、『PK』はツボにはまりまくっていたようです。

「『PK』はガイジンには理解できないよ」というインド人の意見があって、断じてそんなことはない!!!と思ってはいるのですが、確かに、「あ~そうそう、こういう人、身の回りに必ずいるよねー」という「あるあるコント」的な部分については、ガイジンには直観的には理解しにくいのは事実かもしれません。やたらにお守りの指輪をつけている人、なんとなくみんながお祈りをする石、口を開けば「神に祈れ」と言う人・・・。そしておそらく、PKが訴えた「宗教家が作り出した偽の神ではなく、本当に神を信じるべきだ」というメッセージにしてみても、きっと多くのインド人が、人生のどこかで耳にしたことのある宗教観であるのかもしれません。

ヒラーニー監督の映画は、お下劣ジョークが少なくなく、それゆえに一部の方々は眉をひそめるのですが、実際のところ、もっとも観客が大爆笑に包まれたのは、まさにそのお下劣ジョークの部分でした。
・ダンシング・カー。
インドは結婚年齢低いですし、ベジタリアンが多い割には肉食系だし、日本みたいにラブホテルが充実していないですし(基本的には夫婦でないカップルが同じ部屋に宿泊できない)、もしかしたら日本よりもダンシング・カーに遭遇する確率は高いのかな・・・などと思いますが、どうなんでしょう。
・太っちょ理容師のズボン。
日本だとドリフかガキ使か、というダンスィが大喜びしそうなシーンですが、インド人観客のウケること、ウケること。隣の席のマダムもひぃひぃ言いながら笑っていました。メイキングで監督もアーミルも大笑いしながら撮影していましたから、こういう単純な下ネタ、大好きなようです。
・イチゴ味コンドーム
このシーンは、やや「ママと一緒に観に行ったから気まずかった・・・」的な感想もあったようです。とは言いつつ、ほんとうにみんな大笑い。
・プルジャリアから言葉転送。
プルジャリアと一晩過ごした後、言葉を発したPKを見て、バイロンはこう言います。
“Memory aur thukai ka koi direct connection hai, ye baat to doctor ko batani chahiye bhaya, majo ke majo aur ilaaj ka ilaaj…”
「記憶と吐き出し(射精=セックス)には、直接的なつながりがあるんだな。このことをドクターに知らせなきゃ、“majoのmajo、治療の治療”だ...」
“majo”という単語が調べきれなかったのですが、making loveの意味のようではあります。ヒンディー語のスラングなのか、ラージャスターン語なのか・・・(バイロンはラージャスターン語をしゃべっています)。ご存じの方、ぜひ教えてください・・・。お願いします・・・。
“majoのmajo、治療の治療”は、ヒンディー語のことわざ、“doodh ka doodh paani ka paani”(牛乳の牛乳、水の水)をもじっています。混ぜ合わさってしまえば判別できない水と牛乳を分別するかのような厳正な裁き、真実を見極める、白黒つける、といった感じの意味です。ここでは、PKとプルジャリアが一晩過ごしたことと、記憶喪失が治ったことにどんな関連があるのか、ドクターに診断してもらおうぜ!という意味になります。
こういう言葉遊び的な笑いもあるので、「ガイジンにはわからない」と言われちゃうのですが、そんなことないんだぜ! 実はインド人(ヒンディー話者)もバイロンのラージャスターン語とかPKのボージプリー語とかは必ずしも完全には理解できていないようです。とはいえ、多少なりともヒンディー語がちょっとでもわかるとずいぶん楽しいので、『PK』日本公開までにレッツ・スタディー・ヒンディー!