『ラーマーヤナ』という物語(神話)があります。1800年くらい前のインドで成立したという長い長いお話です。話の途中でやたらに小咄が盛り込まれているためストーリーが追いにくいのですが、簡単にまとめると、

◆人々がラーヴァナという名の暴れん坊に苦しめられる。
◆天界の神様が協議してヴィシュヌ神派遣を決定。
◆ヴィシュヌ神は人間=ある国の王子として生まれ、ラーマと名づけられ、立派に成長する。
◆聖者にこき使われたり、他国の姫シーターと結婚したり、継母にいじめられたりする。
◆ラーヴァナと対決してやっつける。
◆妻シーター、自分の不貞を疑ったラーマに対して抗議の自殺。
◆ラーマ、使命果たしたし、嫁死んだし、人間としての生を終え、天界に戻る。
◆結論:ラーマ=ヴィシュヌ神は偉大なり!

神様が人間として生まれ落ちたり、小咄が盛り込まれたりする構造はインド神話の常套です。これらの長くて入り組んだ物語は、結局のところ、いかに神が偉大で素晴らしい存在であるかの修飾であり、最終的には「神は偉大なり」の一言に集約されていきます。
カタカリやバラタナティヤムなどの古典舞踊を観る機会がありましたら、ぜひ観察なさってみてください。歌って、踊って、ハラワタ引きずり出したり、奇声をあげたり、なんだかんだの末にたいてい最後は神を称える歌詞と仕草で締めくくられます。(イマドキのアレンジだとダンサーのドヤ顔で終わりますが。)

さて、ところで。『PK』も、この構造を踏襲していると見ることができそうです。ある日地球に現れ、学び、恋をし、敵を打ち負かし、小咄を盛り込みつつ、人々を助けて、元のところへ去っていく。
少し違っているのは、その結論となる一文。
PKが名刺サイズの紙に書いた、あの一文。あそこへ向かって2時間半の物語がぎゅーっと進行していく、そんな風に思っています。